11月から12月にかけて、
立て続けに中学と高校の同級生がここ京都を訪ねてくれた。
年齢の半分くらいの時間は、
頭のすみっこで眠っていた記憶と感覚を思い出させてくれる。
置かれている現実の変化している部分と、そして変化していない部分。
それぞれが重なりあって今の自分がある。
何故だか分からないのだけれど、あるときを境に自分は、
昔の記憶がスト~ンと抜けてしまった。
事故とかそういうたぐいのものではないし、
全部忘れているわけではないのだけれど・・・。
記憶ってとても不思議だ。
あいまいで、だけれど時としてすごく鮮明に自分の中に刻まれている。
その鮮明になった部分はたいてい自分の感情がリズミカルに躍動している時だ。
昔の同級生に、
「自分らしく生きてるね」っていうメッセージをもらったのは、
きっとそういうリズムの音の鳴っている方向に向かっているってことなんだろう。
自分がこれから得られるものは未来にしかない。
人が命を宿しているのは、自然の大きな時間からすると刹那的ではあるけれども、
その中にある小さな鼓動を聴きのがさないようにしよう。
きっと、こうやってとりとめもないことを考えているのもうんざりする時があるのだけれど、
そんなのも自分だったり。