漢方医の先祖と自分とハーブティー

ここ数年は、週に3日ほどランニングをしています。

ランニングというよりは、ゆっくりとしたジョギングのペースで。 京都御苑の景色を眺めながら、季節の移ろいをたっぷりと味わう時間がとても心地よい。

京都御所は宮内庁の管轄ということもあり、植栽の豊かさはもちろん、その時々のお手入れが本当に細やかです。 (実は義父が庭師ということもあり、そんな職人さんの仕事の様子を見るのは、それだけでも楽しいのです。)

今はちょうど、色とりどりの春の花々が咲き始めています。

こうして無心に自然を見つめていると、「ああ、随分と地球から離れてきているな」と、ふと感じることがあるのです。

ハーブティーの店を営んではいますが、以前、北の方で畑をしていた時のように、自ら土を耕し、ハーブを育てているわけではありません。直接土に触れ、そのものを感じたり、自分の手で生み出しているという感覚が、少し希薄になっている自分に気づくのです。

季節の始まりは、何か新しいことを始めなければと急かされるような気持ちになります。年齢的なこともあり、これからの数十年の過ごし方を考えるようになり、「やりたいことはやらなくては」という焦りにも似た感情が顔を出すこともあります。


少し話は変わるのですが、昨年からこの春にかけて、先祖にまつわるあれこれの整理をしています。
今まで知らなかった過去や、顔も見たことのないご先祖様のことを紐解いていくと、今自分が認識している世界がいかに小さなものかを思い知らされます。

ご先祖様といえば、実は私からみて5代前くらいに、山科の地で漢方のお店を営んでいたそうなのです。

色々な巡り合わせがあって、今自分がこの京都で暮らしていることは、いまだに不思議な気分になることがあります。 自分ではどうにもならない、思い通りにならない流れの中に身を置いていると、「ああ、これもある種の運命のようなものかもしれない」と腑に落ちることがあります。 そうした直感に導かれたものは、素直に前に進めていいのだと、最近はよく思うのです。


ハーブは西洋の漢方とも言われています。

遠いご先祖様が扱っていた東洋の自然の恵みと、今の私が向き合っている西洋の自然の恵み。 時代や形は違えど、植物の力を借りて人々の日常に寄り添うという根っこの部分は、不思議と繋がっているように感じます。 自分がここ、京都の西陣という場所でお店をやっていることにも、きっと何か見えない意味や理由があるのでしょう。

自分で直接土を触る機会は減ってしまいましたが、最近いろいろと考えることが増え、心が少しざわつくような夜には、「春色の朝」を淹れて飲むようにしています。

場所は町屋の中でも、そこには確実に自然の息吹が宿っています。 植物のやさしい香り。 それは、遠い地球のどこかで育った土の記憶を、私たちにそっと伝えてくれます。

春の陽気が少しずつ増してくるこれからの季節。 そわそわとした焦る気持ちをちょっと棚において、ルーツや根源的な感情のようなものにふれる時間を作りたいと思うのです。

御所から徒歩圏内の西陣のお店でも、春の訪れにふさわしいハーブティーをご用意して、皆さまのお越しをゆっくりとお待ちしております。