いやいや、mixedの子は本当にかわいい。
29日は友人のホームパーティにさそわれました。
彼(右)とは、京都に住もうと決めて初めて滞在したゲストハウスのお隣さん。
物理とか音楽とか何かと共通項の多い彼に今年お子さんが産まれた。
あ、ちなみに偶然なことに左の彼にも数日前babyが産まれたとな!
いやいやめでたい!!
とってもおいしいご飯とお酒と取りとめもない話になったのだけれど、
この一年を振り返るとどうしても震災、原発の話題となる。
日本に住む外国人は、僕らが感じた以上に恐怖を感じたと思う。
大使館に電話しても、関東の大使達は国外か、関西に逃げてきていて、
ほとんど機能していなかったようだし。当時、いやそれは今もなんだけれど、
客観的な情報がすごく足りなくて、自分達の行動を判断することさえできない。
特に、赤ちゃんの産まれた親からしたら本当に将来にかかわる問題だ。
でも、そんな状況の話を聞いていてふと思った。
僕はどこまで本当のことを知っているんだろう?
というより知ろうとしているんだろうか?
ここ関西に住んでいるからかもしれないけれど、
なんとなくふわふわした所があって、
あんだけ放射性物質を垂れ流しにした海が大丈夫なの?
瓦礫受け入れて、燃やして良いの?
いくら善意とはいえ、福島産の製品は大丈夫なのか?
風評被害というオブラートに色々なものが包み隠されていないか?
いろんな事は頭に浮かぶのだけれど、
日々の生活の中で、川の流れのようにさらっと流れていってしまう。
悪いと分かっていても、なんとなくうやむやにして、
さてなにも無いようにしてやり過ごす。
なんだかそんな感じ。
外国人からすると何でもっと声をあげないのか?
もっと強いリーダーシップが、ガバメント(政府)が必要なんだと。
じゃ、具体的に何ができる人でどういうものを求めているか?と問われると、
「なんとなく」もっと良い人。そんな考えになってくる。
言葉で語りつくすことが出来ない事はたくさんある。
「それは何だ?」
それは日本人にしか分からない独特の感覚だ。
それではだめなんだと。
やはりその独特な情感に基づいたことも
ある程度は言葉として伝えること、それこそが、本当の意味で世界の中で生きることだと思う。
その言葉にする過程でクリアになってくることそれこそが、
今、本当に必要なことだと思う。
今の社会を作り上げてきた自分達の親の世代たちが
社会的に声を大きくして訴えていた学園闘争の時代。
その結果としての今。
声を大きくするだけが方法じゃないと
多くの人が無意識に感じている。
繰り返しになるけれど、
頭の中では分かっていても、
これはこういうもんだって
こういう風にした方が、経済的で、合理的で、そして、効率的だって。
自分を納得させて、
スルーしていること。
そんな事の積み重ねが何か歯車をずらしてしまうんだと思う。
自然という巨大で繊細でどうしようもないもパワーを持ったものに対して、
ある意味寛容に生きてきたからこそ、日本人は大抵のいいことも悪いとされることも、
なんとなく受け入れてしまうのかもしれない。
ベタな言い方かもしれないけれど、日本人として本当に日本には
すばらしいものがたくさんある。それは、本当に身の震えるというか、
魂を揺り動かす、景色だったり、ものだったり、ご飯だったり。
そんなにものがせっかくあるんだから、もっと楽しんだらいい。
そう思う。
何を信じるか?何をチョイスするか?
これから一番大切になることだと思う。
とりとめもない話ですが、
「たま茶」ではそんなことを考えたり、
感じたりできる事を色々企画していく予定です。
もうたくさんの種まきはできてきたので、
春には芽が出てくることかと思います。
今日大みそかは現場の片づけを・・・。
お世話になった方々、
自分達が向かっていこうとしている事にこれから関わる方々、
本当にありがとうございます。
どうぞ来年もよろしくお願いします。
良いお年を!!
言葉と音はこうやってそっと置くものだ。